ダンテの死後世界日記 地獄篇
ダンテノシゴセカイニッキ ジゴクヘン
超訳 小説で読む「神曲」
チェ・スン編著/谷島誠、佐藤正人共訳
ダンテが目撃した死後世界の真実の姿!
ダンテは尊敬する古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれ、九つの層からなる地獄で、死後の罰を受ける魂たちの間を遍歴。ヨーロッパ史上最高傑作といわれながら、難解ゆえに読者を遠ざけてきたが、見事な口語訳で、偉大なる詩人ダンテが目撃した死後世界の真実の姿が今、目の前に甦る。
主な内容
地獄の門をくぐって地獄の底まで降りていく。そこは、「邪淫」「貪欲」「欺瞞」……と地上での罪に応じて第一圏から第九圏まで分かれていた。
- 価格
- 1760円(本体1600円)
- 判型
- 四六判
- 頁数
- 344 頁
- 発行日
- 2009.7.18
- ISBN
- 978-4-87795-166-5
立ち読み
まえがき
◎——ダンテが精神の旅に出たのはなぜか?
『神曲』は、一四世紀前半のイタリアで、ダンテ・アリギエーリにより書かれた長編叙事詩です。三部構成で『地獄篇』、『煉獄篇』、『天国篇』からなっています。本書はそのうちの第一部、『地獄篇』を日記風の小説仕立てにして読みやすくしたものです。
世界文学を代表する作品として評価され、日本語訳もこれまでに十種くらい出ています。その内容は、哲学や倫理学、天文学、測量学などが取り入れられているとともに、ギリシャやローマの神話に登場する神々や怪物もたくさん登場します。ですから、それらに関する知識がないと、なかなか難解なところがあります。
本書はそうした知識がなくても、小説を読むように文脈をたどることができるように構成されています。読み進んでいくと、いつしかダンテとともに死後の世界を放浪しているような気がしてきます。
なぜダンテは、このような精神の旅を綴る物語を書こうとしたのでしょうか。そのヒントとなるものを追っていきましょう。
一三〇七年、ダンテは、自分と同名の主人公が死後の世界を旅する『神曲』を書き始めたといわれています。そのとき、彼は故郷フィレンツェを追われ、イタリア各地の有力者に助けられたとはいえ、放浪の身の上となっていました。
まえがき
◎——ダンテが精神の旅に出たのはなぜか?
『神曲』は、一四世紀前半のイタリアで、ダンテ・アリギエーリにより書かれた長編叙事詩です。三部構成で『地獄篇』、『煉獄篇』、『天国篇』からなっています。本書はそのうちの第一部、『地獄篇』を日記風の小説仕立てにして読みやすくしたものです。
世界文学を代表する作品として評価され、日本語訳もこれまでに十種くらい出ています。その内容は、哲学や倫理学、天文学、測量学などが取り入れられているとともに、ギリシャやローマの神話に登場する神々や怪物もたくさん登場します。ですから、それらに関する知識がないと、なかなか難解なところがあります。
本書はそうした知識がなくても、小説を読むように文脈をたどることができるように構成されています。読み進んでいくと、いつしかダンテとともに死後の世界を放浪しているような気がしてきます。
なぜダンテは、このような精神の旅を綴る物語を書こうとしたのでしょうか。そのヒントとなるものを追っていきましょう。
一三〇七年、ダンテは、自分と同名の主人公が死後の世界を旅する『神曲』を書き始めたといわれています。そのとき、彼は故郷フィレンツェを追われ、イタリア各地の有力者に助けられたとはいえ、放浪の身の上となっていました。
*—ウェルギリウスとベアトリーチェ
ダンテは、一二六五年、イタリアの都市フィレンツェに生まれました。
下層貴族の子として生まれた彼は、ラテン語による修辞学や哲学を学び、ラテンの古典文学を深く愛し、詩作に優れた若者として成長していきます。叙事詩『アエネイス』を代表作とするローマ最高の詩人ウェルギリウスへの敬愛は、この頃から始まっていたのかもしれません。
一二九二年頃にダンテが書いた『新生』には、初恋の人ベアトリーチェとの出会い、彼女への愛が詩と散文で描かれています。そう、『神曲』で後にダンテを天国へと案内することになるベアトリーチェは、実在する人物なのです。
ベアトリーチェは、名門貴族ポルティナーリ家の娘で、ダンテの幼なじみでした。その名のように神の祝福を与える女性だったのでしょう、詩人としてのダンテに多大なインスピレーションを与えています。
しかし彼女自身は、親の決めた相手である銀行家と結婚した後、二四歳の若さで亡くなります。ダンテが『新生』を書いたのは、ベアトリーチェの死の二年後のことでした。これより後、ダンテも親の決めた婚約者であるジェンマ・ドナーティと結婚し、二男一女をもうけています。
*—ギベリーニ党・グエルフィ党
また、ダンテの生涯には宗教と政治とが大きく関わっています。
中世ヨーロッパは、教皇が宗教界を支配し、皇帝が政界を支配する世界でした。が、十世紀の神聖ローマ帝国樹立後は、教皇と神聖ローマ皇帝との間で複雑な権力争いが展開されるようになったのです。特にダンテが生きた一三〜一四世紀には、教皇が聖俗両面において絶対的な権力をもつことを主張した時期であり、ボニファティウス八世(在位一二九四〜一三〇三)はその最たる存在ともいえる教皇でした。
イタリアの各都市は、教皇を支持するグエルフィ党か、神聖ローマ皇帝を支持するギベリーニ党のどちらかと結びつき、互いに争い合っていました。
ダンテの故郷フィレンツェでも、グエルフィ党とギベリーニ党の対立で街が二分し、激しい政争をくり返しました。同じ市民でありながら、勝ったほうは街を支配し、負けたほうは財産を略奪され、住居を破壊されて、市内から追放されてしまうのです。
ダンテが生まれた頃フィレンツェではグエルフィ党が優勢になっており、一二八九年カンパルディーノの戦いで、ダンテはグエルフィ党の騎兵として、アレッツォのギベリーニ党軍と勇敢に戦ったといわれています。
その後、白党と黒党に分裂したグエルフィ党でダンテは白党に属し、フィレンツェ市の行政に携わりました。彼の求めていたものはフィレンツェの自治であり、たとえ教皇であってもそこに干渉してくるのを防ごうとしていました。
しかし一三〇一年に、教皇ボニファティウス八世は傀儡のシャルル・ド・ヴァロアをフィレンツェ市に送ろうとします。それに対抗するための使節団としてダンテがローマに派遣されている間に、フィレンツェは黒党が実権を握るようになり、アリギエーリ家は略奪に遭い、ダンテ自身も一方的に罪を着せられ、フィレンツェから追放されてしまうのです。
それ以降ダンテは、イタリア国内の各都市を放浪しながら『神曲』の著述を続け、愛する故郷フィレンツェへの帰還をめざしますが、ついにその願いをかなえることなく一三二一年にラヴェンナで亡くなりました。
ダンテは、肉体ではイタリアを放浪しながら、精神では『神曲』の世界を旅していたのです。彼がこの精神の旅を通じて描きたかったものは何なのか。愛を探すことか、正義を探すことか、神を探すことなのか。どうしてあれほどまでに地獄、煉獄、天国と死後世界をリアルに描き出すことができたのか──。
あなたもぜひ、本書を読んで探ってみませんか。
プロフィール
チェ・スン(ちぇ・すん)
韓国出身。フランスの小説家であり劇作家であるボルテールの「ダンテの名声はさらに高まるだろう。なぜなら時が経てば経つほど彼の作品を読む人がいなくなるからだ」という言葉に出会い、西洋史上最高傑作とされながらも難解な『神曲』の小説化を決意。約10年の歳月をかけて書き上げる。優れた口語訳によりダンテの世界が見事に甦る。韓国では話題を呼びベストセラーとなる。