命ある限り悔いなく生きる
イノチアルカギリクイナクイキル
各界の第一人者が語る、もう一人の「杉原輝雄」
杉原輝雄記念館編著
がんと闘いながら、生涯現役を貫いたプロゴルファー
「生きる事」に感謝し、自分に厳しく周りに優しい男。がんと闘いながら、生涯現役を貫いたプロゴルファー、杉原輝雄氏と、深い心の交流を重ねてきた各界の第一人者とで、生前に交わされた魂の言葉、エピソードが、いま鮮烈に甦る!「生きる勇気」を与えてくれる感動の書。
主な内容
ゴルフ界における杉原輝雄
がんと闘った杉原輝雄
スポンサーから見た杉原輝雄
弱き命を大切にした杉原輝雄と、その死生観
ご友人・ご家族から見た杉原輝雄
最後に―杉原先生のご遺志を継いで

- 価格
- 1980円(本体1800円)
- 判型
- 四六判上製
- 頁数
- 224 頁
- 発行日
- 2012.7.18
- ISBN
- 978-4-87795-236-5
立ち読み
はじめに
杉原輝雄記念館 館長 綿引 秀憲
平成23年12月28日、ゴルフ界に多大な功績を残され、日本プロゴルフ界のドンと言われた杉原輝雄先生が永眠されました。
通夜、告別式は故人のご遺志によりご親族様のみで執り行なわれましたが、四十九日の法要後、平成24年2月13日に日本プロゴルフ協会(PGA)、日本ゴルフツアー機構(JGTO)、JGTO選手会の3団体が発起人となり、リーガロイヤルホテル大阪にて、しめやかに『お別れ会』が営まれました。
このお別れ会には、青木功プロを始めとした永久シード選手全員が参加され、雨の中にも関わらず1000名を超す方々が参列し、故人との別れを惜しまれました。
先生は生前より、「僕が死んでも葬式やお別れ会などの催しはしなくてよいから」と常々おっしゃっておられましたが、この様な盛大でしめやかなお別れ会が開催出来たことは、残された私達にとって大変良かったと思っております。
お別れ会で、青木プロが弔辞の一節でおっしゃった、「スギさん、天国で島田幸ちゃん(故島田幸作プロ)と一緒にゴルフ場を造っておいてくれよな、俺や後輩たちが後から駆けつけるからな」というお言葉に、感動された方も多いのではないでしょうか。私もこのお別れ会では、協力という立場で先生の遺品を別会場にて展示させていただきましたが、多くの参列者の方々に先生の遺品をご覧いただくことが出来て、大変嬉しく思っております。
後先となりましたが、杉原先生は弊社が経営する新宝塚カントリークラブで平成18年からコース監修・コースアドバイザーを、また阿山カンツリー倶楽部におきましては平成22年から理事長をお引き受けくださっており、この関係から生前より先生の輝かしい戦歴の証しであるトロフィーを始め、記念品やクラブ等をお預かりして新宝塚CC内に展示させていただいておりました。
先生と一緒に過ごさせていただいたのは6年間と短い期間でしたが、その間に先生から頂戴した数多くのお教えを今後も守り続けて行きたいと考えております。この思いと、杉原先生のゴルフに対する情熱、その生き方、人間としての素晴らしさを後世に永く伝えるため、本年6月28日、新宝塚CC内に『杉原輝雄記念館』を新設させていただくことになりました。本書は、その一環として出版の運びとなった次第です。
先生のお声をもう聞くことは出来ません。そこで、各界の第一人者、先生とご関係の深かった方々に先生とのエピソードをお話ししていただき、他者から見た『もう一人の杉原輝雄像』を描くことが出来ればと考えました。
はじめに
杉原輝雄記念館 館長 綿引 秀憲
平成23年12月28日、ゴルフ界に多大な功績を残され、日本プロゴルフ界のドンと言われた杉原輝雄先生が永眠されました。
通夜、告別式は故人のご遺志によりご親族様のみで執り行なわれましたが、四十九日の法要後、平成24年2月13日に日本プロゴルフ協会(PGA)、日本ゴルフツアー機構(JGTO)、JGTO選手会の3団体が発起人となり、リーガロイヤルホテル大阪にて、しめやかに『お別れ会』が営まれました。
このお別れ会には、青木功プロを始めとした永久シード選手全員が参加され、雨の中にも関わらず1000名を超す方々が参列し、故人との別れを惜しまれました。
先生は生前より、「僕が死んでも葬式やお別れ会などの催しはしなくてよいから」と常々おっしゃっておられましたが、この様な盛大でしめやかなお別れ会が開催出来たことは、残された私達にとって大変良かったと思っております。
お別れ会で、青木プロが弔辞の一節でおっしゃった、「スギさん、天国で島田幸ちゃん(故島田幸作プロ)と一緒にゴルフ場を造っておいてくれよな、俺や後輩たちが後から駆けつけるからな」というお言葉に、感動された方も多いのではないでしょうか。私もこのお別れ会では、協力という立場で先生の遺品を別会場にて展示させていただきましたが、多くの参列者の方々に先生の遺品をご覧いただくことが出来て、大変嬉しく思っております。
後先となりましたが、杉原先生は弊社が経営する新宝塚カントリークラブで平成18年からコース監修・コースアドバイザーを、また阿山カンツリー倶楽部におきましては平成22年から理事長をお引き受けくださっており、この関係から生前より先生の輝かしい戦歴の証しであるトロフィーを始め、記念品やクラブ等をお預かりして新宝塚CC内に展示させていただいておりました。
先生と一緒に過ごさせていただいたのは6年間と短い期間でしたが、その間に先生から頂戴した数多くのお教えを今後も守り続けて行きたいと考えております。この思いと、杉原先生のゴルフに対する情熱、その生き方、人間としての素晴らしさを後世に永く伝えるため、本年6月28日、新宝塚CC内に『杉原輝雄記念館』を新設させていただくことになりました。本書は、その一環として出版の運びとなった次第です。
先生のお声をもう聞くことは出来ません。そこで、各界の第一人者、先生とご関係の深かった方々に先生とのエピソードをお話ししていただき、他者から見た『もう一人の杉原輝雄像』を描くことが出来ればと考えました。
本書は、大きく分けると次の5つの部で構成しております。
・1つ目は、『ゴルフ界における杉原輝雄』
・2つ目は、『がんと闘った杉原輝雄』
・3つ目は、『スポンサーから見た杉原輝雄』
・4つ目は、『弱き命を大切にした杉原輝雄と、その死生観』
・最後に、『ご友人・ご家族から見た杉原輝雄』
『ゴルフ界における杉原輝雄』では、先生と共に半世紀以上、日本ゴルフ界のツアーを追い続けた元デイリースポーツ記者の甲斐誠三様。ライバルという視点より青木功様、中嶋常幸様。日本男子プロゴルフ界からの視点として、先生と共にゴルフ界を支えられた前PGA会長の松井功様。現在のゴルフ界の礎を築いた初代選手会会長の杉原先生への追悼の言葉として、現選手会会長の倉本昌弘様。杉原会一門を代表して、共に茨木CCでプロを目指し、プロになられた、木本挙国様。
『がんと闘った杉原輝雄』では、先生の地元主治医として先生の最後を看取られた西野国輔先生。友人であり同窓生でもあるお医者様の隅清臣先生、そして、先生のトレーナーを務めておられた佐藤義昭先生。
『スポンサーから見た杉原輝雄』では、先生が長きに渡りウェアの契約をされておられました株式会社デサント担当者の瀧波毅様。長年クラブの契約をされておられました国際興業株式会社担当者の山岡久恵様。そして、晩年先生と長男・敏一プロのスポンサーをされておられましたヒグチ歯科の樋口真弘先生。
『弱き命を大切にした杉原輝雄と、その死生観』では、先生がゴルフ同様に力を入れておられた動物愛護活動団体、日本アニマルトラスト代表の甲斐尚子様。先生の取材を長年続けておられましたゴルフ記者の古屋雅章様。
『ご友人・ご家族から見た杉原輝雄』では、先生とご家族同然のお付き合いをされておられました九州の武雄・嬉野カントリークラブ元支配人の原田金廣様。晩年、先生のツアーを支え続けた専属キャディの京海健一様。そして先生がこよなく愛されたご子息の杉原敏一様、杉原政之様が取材にご協力くださいました。
先生は、ゴルフを自由にできる裕福なご家庭にお生まれになったわけではございません。身体が小さく、飛距離が出ないというハンディを背負い、また、晩年にはがんと闘っておられました。生涯を通じ、様々なハンディキャップを抱えながらも、先生はそれを乗り越え生涯現役を貫き、ゴルフ史に大きな足跡を残されました。
しかし、先生がゴルフ関係者を始めとする多くの方々に「ゴルフ界のドン」、「偉大な方だった」と言わしめるのは、その輝かしい戦歴からのみではありません。多くの方々や組織・団体が、先生の行動や考え方に触発され、助けられ、勇気づけられ、感銘を受けたからです。そして、その裏には、先生の壮絶な努力、周りへの気配り、深い愛情がありました。
あらゆる苦難を乗り越え、その生涯を必死に生き抜いた杉原輝雄先生の生きざまを通じて、「必死で生きるということ」や、「愛情」という、普遍的なテーマを、もう一度見つめ返すきっかけになっていただければ幸いです。
最後になりますが、本書を出版するに当たり、インタビューにご協力をいただきました皆様、各種支援をしてくださいました松井功様、取材・執筆協力をしてくださった古屋雅章様、なによりご遺族を代表して本書の出版を快くご了承くださいました杉原玲子様に、この場をお借りして御礼申し上げます。
先生のご冥福をお祈り申し上げます。
プロフィール
杉原輝雄(すぎはらてるお)
〈来歴〉
昭和12(1937)年6月14日生まれ、大阪府茨木市出身。茨木カンツリー倶楽部でゴルフを始め、昭和32(1957)年にプロ入り。昭和37(1962)年の日本オープンで初優勝を飾って以来、生涯現役を貫き通算優勝65回という輝かしい成績を残した日本のトッププレーヤー。小さな体ながら粘り強いゴルフで勝利を重ねていく姿に、プロ仲間からは「プロゴルフ界のドン」と呼ばれ畏敬の念を持って接せられた。
〈受章歴〉
平成2(1990)年、日本ユネスコフェアプレー賞
平成23(2011)年、スポーツ功労者文部科学大臣顕彰