世界中の真理を探究する人々に、この『スピリットランド(原題:A Wanderer in The Spirit Lands)』を紹介できるのは大きな恵みであります。この本の主人公であるフランチェッツォは、すでにこの世を去っていますが、彼の魂は生命の次の段階の世界、すなわち霊の世界で生き続けています。
彼は地上のわれわれが、これから死を迎えてその世界に向かうときにどんなことが待っているのかを伝えようと、この世に来てくれたのです。フランチェッツォは十九世紀後半に生まれ若くして死んだイタリア人です。彼は霊界に入って行ったときの状況、その世界に目覚めていった様子を非常に詳細に伝えてくれています。
世界中の真理を探究する人々に、この『スピリットランド(原題:A Wanderer in The Spirit Lands)』を紹介できるのは大きな恵みであります。この本の主人公であるフランチェッツォは、すでにこの世を去っていますが、彼の魂は生命の次の段階の世界、すなわち霊の世界で生き続けています。
彼は地上のわれわれが、これから死を迎えてその世界に向かうときにどんなことが待っているのかを伝えようと、この世に来てくれたのです。フランチェッツォは十九世紀後半に生まれ若くして死んだイタリア人です。彼は霊界に入って行ったときの状況、その世界に目覚めていった様子を非常に詳細に伝えてくれています。
そこは何事も隠すことのできない世界であり、地上の人生でなしたことは善きにつけ悪しきにつけ全て、まるで映画を見るように目の前に展開するのです。それを見ながら彼は、地上の人生をどれほど無駄にしてきたことかを知って、身の縮まるような思いをするのでした。
こうした彼自身の経験を地上の霊媒を通して語りながら、最低の霊界から高次の世界へ至る、贖いと復活の路程にわれわれを導いていくのです。フランチェッツォの話を聞いていると、彼の生きている霊界というものは、わたしや皆さんが住んでいる世界と何ら変わらない堅固な現実の世界であることを悟らされるのです。
霊的に堕落していた過去の地上人生を償うための彼の苦闘は、彼自身も自らの利己的な生き方によって、部分的にはその創造に加担したことになる霊界の地獄の迷宮を彷徨うという厳しい現実として待ち受けていました。
自分自身が己の虚栄心とうぬぼれの犠牲者であったことを知ったフランチェッツォは、実に正直に自分の置かれた状況を書いています。地上の人生であまりに多くの罪を犯して深く汚れてしまった自分の魂を清めるために、霊界ではどんな償いが必要であったか、それをどのようになし遂げたかを詳しく述べています。こうしてフランチェッツォの体験が事細かに語られているこの物語は魔法のように人の心を捉えるのです。
われわれはまた、地上に残っていた彼の大切な「あの方」、大切な恋人が彼に示す永遠で真実で無条件の愛が、いかに素晴らしいパワーを持っているかを目の当たりにすることになります。彼女はフランチェッツォが霊界に行ってしまってからも、彼がそこで進歩するように不変の愛と祈りで地上から支えるのです。
またわれわれは、彼があらゆる試練を乗り越え真実の人間に生まれ変わろうと懸命の努力をする路程の中で、神ご自身が示す無条件の愛を目撃することになります。神の愛は、どんなときにもフランチェッツォを非難することなく、守護の霊と、彼が霊界で所属することになった「希望の同胞団」を通して注がれるのです。
フランチェッツォの物語は非常に生きいきと語られるので、われわれは自分が彼と共に霊界に実際に居合わせているような気持ちにさせられます。そこで喜んだり悲しんだりする彼の心の動きが、手に取るように伝わってくるのです。
彼は歯に衣着せぬ言い方で、われわれが地上の人生でまいたものは、霊界で間違いなく刈り入れることになると言っております。霊界というものは、われわれを取り囲んでいて、その膨大な次元の世界に入るときには、その霊界が、われわれが地上の人生で「成った」もの以上でも以下でもないものとして、われわれの前に現れることを教えてくれます。
さらには、その世界では、無意識のうちに自分自身の内的な感情や心理的条件ないしは嗜好を共有する人々のいる霊の領域に自分も行くことになるということを知らされるのです。
この意味からすれば、われわれは地上の日々の生活を通して、霊界での居所を決定している最中であると言えるのです。もし地上にいるとき神に近ければ、霊界でも近いと言えますし、反対に、地上にいるときに神から遠ければあの世でも遠いわけです。
この『スピリットランド』は、霊界での居所も決定してしまう地上の人生が、いかに重大で決定的な意味を持っているかをわれわれに明らかにしてくれているのです。