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「うつ」から薬なしで二度抜け出した脳科学医 最も効いた「ブッダの言葉」

「ウツ」カラクスリナシデニドヌケダシタノウカガクイモットモキイタ「ブッダノコトバ」

元気が出る言葉で心が変わり脳も活性化

高田明和著

朝から晩までその言葉を唱えることで「うつ」から救われる

今年82歳になる著者は、脳科学医でありながら、これまで二回、壮絶な「うつ」を体験、それを薬なしで克服した。自らの体験で、うつを治してくれるのは薬やカウンセリングより言葉の力であること、とくに「ブッダの言葉」にその力が大きいものがあったと言う。本書は、著者が日々口ずさんだブッダの言葉の意味や成り立ちなども詳しく解説している。

主な内容

プロローグ 「うつ」は脳の病気ではなくて心の病だった!
「うつ」の苦しみや不安な心から私を救ってくれたブッダの言葉

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「うつ」から薬なしで二度抜け出した脳科学医 最も効いた「ブッダの言葉」
価格
1430円(本体1300円)
判型
四六判
頁数
160 頁
発行日
2018.2.12
ISBN
978-4-87795-362-1

立ち読み

プロローグ 「うつ」は脳の病気ではなくて心の病だった!

 私は今年で八二歳になりますが、脳科学医でありながら今までに二回、壮絶な「うつ」を体験し、それを薬なしで克服してきました。

 最初にうつを体験したのは四〇歳になって間もない頃です。

 私は家族とともに一九六六年からアメリカのニューヨーク州立のロズエル・パーク記念研究所に留学しました。それから六年後の一九七二年には、ニューヨーク州立大学の助教授にも就任しました。結果として九年間アメリカに滞在し、一九七五年に家族とともに日本に帰国しました。

 そのとき四人の子供がいたのですが、誰も日本語はまったく話せませんでした。しかも、自分のことをはっきりと主張するアメリカ文化のなかで育っていたため、周囲との調和を優先する日本文化や学校の環境になかなか馴染めませんでした。子供たちはそのことで大変苦労し、いじめられることもありました。

 そればかりか、子供たちだけでなく、学問の世界にいた私も、はっきり自分の考えを主張したことが「協調性がなくて、自己中心的だ」などと受け取られることがたびたびありました。しばらくアメリカで研究活動をしていた私としては、ごく自然な振る舞いのつもりでしたが、周りの人にとっては、かなり違和感があったのでしょう。

 こうした噂が私の所属していた学会にも広まり、科学研究費が出なくなったこともあります。研究こそが「命」だった私にとって、このことはとてもつらいことでした。「今後はどうなるのだろう?」と考えれば考えるほど、不安で心を病み、眠れない夜が続きました。

 じつは、私は外見的には体格がよく、声も大きいので、周りからは「豪放磊落な人」と見られていたようです。しかし本当の私は、この外見とはまったく違っていました。

 学生時代から他人の意見や考え方に非常に影響を受けやすく、「自分はこのように思われているのではないか」「こんなことを言ったら嫌われるのではないか」「こんな行動を取ったら変に見られるのでは」などと不安で仕方がありませんでした。

 余談ですが、このような性格は最近、「敏感すぎる人(HSP)」と呼ばれ、詳しく解説した本なども出版されています。この超過敏の症状が進むと不安が増して、うつの状態になります。

 そんな私の性格は、成人して家族をもち、アメリカという異文化の中で生活して帰国した後も変わっていなかったのだと思います。

 自分の苦しい気持ちを正直に相談する人もいませんでした。目の前に立ちはだかる困難や将来への不安がつのると、「私みたいな人間は生きている資格がない」「こんな私は生きていく価値がないのでは」などと、思考が悪いほうへ悪いほうへと膨らんでいったのです。

 私は脳科学や生理学をずっと研究していたこともあり、うつの臨床経験もありました。そのようなキャリアから、このような不安や苦しさを感じるのは「うつ」の症状だと確信したのです。

 うつと言えばすぐに「薬」が思い浮かぶ人が多いと思いますが、私はお勧めできかねます。私自身のうつも薬では改善しませんでした。

 うつ病の薬として盛んに使われているのは、「選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)」と呼ばれる薬ですが、これは最初、統合失調症の薬でした。この薬を、うつ病の患者に投与すると効果は絶大でした。

 臨床報告を見ると、

「それまでは頭のなかを同じことばかりが終始占領して、苦しい思いを続けてきました。現実にはなかったことに罪の意識を感じ、悩まされてきたのに、今、頭をいっぱいにしているのは、将来の計画です。罪責妄想、貧困妄想が目に見えて減りました」

「今はそのようなマイナスのことを考えなくなりました」

 などと述べる患者が多くいました。

 製薬会社はこの報告を受けて、これをうつ病の薬として売り出すことにしたのです。その結果、生まれたのが「イミプラミン」という薬です。最近盛んに使われている「パキシル」という薬と似たような仕組みをもつ薬です。

 これが多くの医師により使われたので、別の会社も似たような作用をもつ薬を開発しました。なかでも「プロザック」という薬は、米国のイーライ・リリー社で開発、販売され、莫大な利益を上げたのです。

 ところが、最近プロザックとかパキシルといった薬が効かなくて困っているという人が増えているのです。ある学者の調査では、重度のうつ病では効果を示すが、中等度以下、つまり普通の人が苦しむ程度のうつ病では薬の効果はプラセボ(偽薬)と変わらないというのです。

 なぜ薬は効かなくなったのでしょう。

 それは、悩みとか不安は時代によって変わるからです。悩みや不安が変わると、それに対応する脳の部分も、以前とは異なってきたのです。

 たとえば、先に触れましたHSPですが、超敏感の人は「他人の言うことに影響を受けすぎる」「他人の顔色をうかがいすぎる」「自分に合わない人たちと付き合うことができない」などという症状をもって苦しんでいます。これは病気ではなく、性格のようなものです。

 以前は、このような性格で非常に苦しむ人はあまり多くなかったのです。しかし近年は、

「空気を読まないと周りとうまくやっていけない」

「他人と協調しないと人生がうまくいかない」

 という社会状況になり、そのことが苦しみや悩みを作りだしているのです。それに対応する脳の部分が異なってくるのは、当然のことと言えるでしょう。

 話が少し脇道にそれましたが、私のうつは苦しいままでした。そんなあるとき、ある人からうつを克服するためのヒントをもらったのです。その人は当時、私が心から信頼している人でした。

 そのヒントとは、

「自分を励ますような言葉を見つけたら、朝から晩までその言葉を唱えなさい」

 というものでした。藁にもすがる気持ちだった私は、そのアドバイスに素直に従ったのです。

 いろいろな言葉を見つけては試しました。当時、私をもっとも励ましたのは「困ったことは起こらない」という言葉でした。朝起きてから、洗面をしているときも食事をしているときも、仕事中でも、移動中でも、時間があればいつでも「困ったことは起こらない」と唱え続けたのでした。

 また、同時に以前より興味のあった座禅や般若心経の写経や読経も勉強し、実践していったのです。

 そして何カ月か経過したある朝のこと。朝日に向かって座禅をしていると、まるで自分の身体の周りから、瓦がはぎ落ちていくかのように、何かがはがれ、脱皮したような新しい自分が誕生したような気がしたのです。

 その瞬間、新しい人生を始められる確信をもてたのです。

 それから三〇年以上、何事もなく過ごしていました。その間、学者としても充実した人生を歩むことができましたし、安定した高齢期を迎えていました。ところが、七〇代に入った頃、あるとき気づいたら「二度目のうつ」が襲ってきたのです。

 当時私は、テレビやラジオで顔が売れたこともあって、定期的に依頼される講演や、次々と出版される本の執筆などで、とても順調な日々を送っていました。身体もいたって健康で、これといった病や不安もない、極めて健全な状態だったのです。

 ところが、どうしてなのか、漠然とした「不安」がわき出てきて、「心の苦しみ」がしだいに強くなっていきました。その状態はひどくなる一方で、家に引きこもることが多くなり、人に会うことを避けるようになりました。

 それまではどんなことがあっても引き受けていた講演も断わっていました。外にまったく出ない人間になっていたのです。

 そんなとき、二〇一一年の東日本大震災が発生しました。そのときの社会全体を覆う不安が、私の中の不安感を一気に増幅させたのだと思います。

 何も手につかず、ぼーっとテレビを観ながら、時の過ぎゆくことにも気づかず無為の日々を過ごしていました。このままではいけないと思い、医師をしている弟に相談をしました。そして、ある大学病院を紹介してもらったのです。

 そこで「双極性障害のⅡ型(躁状態とうつ状態を繰り返す)」と診断された私は、睡眠薬、抗不安薬、定評のある「抗うつ剤」などを処方されましたが、状態はいっこうに改善しません。それどころか副作用の心配が大きくなるばかりでした。

 このままではいけないと思ううちに、一回目のうつから解放されたときのことを思い出したのです。一回目のうつの発症から三六年もたっていたので、恥ずかしながら完全に失念していました。

「最初のうつ」から私を救ってくれたのは、「薬」でも「カウンセリング」でもなかったのです。昔救われるきっかけとなったあの言葉が鮮明に蘇ってきました。

「自分が励まされるような言葉を見つけたら、できるだけたくさんその言葉を口に出して言いなさい」

 そのときから、私は自分を励ます言葉を必死で探し始めました。一回目のうつのときは座禅や般若心経、読経といった仏教の修行法や言葉でしたが、二回目のうつで私が見つけたのは、仏教の根本にあるブッダ(お釈迦様)の言葉でした。自分の心に響いた言葉を見つけては、一日に何回も何回も復唱しました。

 そうしていると、薄皮が少しずつはがれていくように、私の心が解放されていったのです。まるで心を覆う雲が薄くなってきて、光が雲の隙間から差しこんできたようなものです。光が出ればますます苦しみや不安の雲は薄くなり、心の輝きが増してくるのです。

 ブッダの言葉が私の心を変えていったのです。

 私は長年、脳科学についても研究してきました。その土台の上に立っている医学は、うつ病は脳の病気であるとしています。その治療には抗うつ薬を処方します。

 私も脳科学医ですから、当然、薬による治療が必要だと考えていました。ところが、自分自身がうつになり、その治療を受けることになったとき、そして薬を服用し続けているうちに、このままではうつが改善するどころか、副作用で身体全体の健康も害されてしまうと認識したのです。

 うつとは、本当に脳そのものの病気なのだろうか、脳の病気が改善されれば私の心のなかにある苦しみから解放され、心が安定するのだろうか。そもそも脳の働きと心のあり方にはどのような関係性があるのだろうか。

 私は自分自身がうつに苦しみながら、答えを探し求めていました。そこで体験的に行き着いた結論は、うつからの救いは、薬で脳に働きかけることではなく、言葉の働きによって心の苦しみや心のあり方を変えることだったのです。

 別の言い方をすれば、うつのような「心の病」に関する限り、言葉には薬にないすごい力があるのです。

「言葉には、私たちの心を変える作用がある」。じつは、これが現在の脳科学の常識になってきています。

 最新の研究によると、私たちの脳にはミラーニューロンと呼ばれる神経細胞があります。これはまさしく名前のごとくで鏡のような反応をする神経細胞であり、〝ものまね細胞〟とも言われています。

 たとえば、ダンスの先生が踊っているのを見ている子供の脳のなかでは、驚くべきことが起こっています。踊っている先生の脳内部で活動している部分と同じ部分(ミラーニューロン)が活動しているのです。ですから、見ているだけでも似たようなダンスができるようになると考えられています。まさしく〝ものまね細胞〟なのです。

 このミラーニューロンは、言葉に対しても同じように反応します。元気が出る言葉に接すると、もともとその言葉を発した人の脳の活動と似た活動を自分の脳も行うようになります。しかも、他の脳細胞にも刺激を与えて、脳細胞全体を活性化させるのです。

 ミラーニューロンは、言葉を聞くだけでなく、思い出したり、自分の口で言葉を発することでも刺激されることがわかっています。ですから、私のようにブッダの言葉を読んだり口ずさんだりすると脳が活性化することは、十分、納得できるでしょう。

「言葉には、私たちの心を変える作用がある」のです。別の言い方をすれば、元気な言葉で心のあり方が変わると、同時に脳も活性化して変わるのです。ですから、薬に頼らずとも、言葉の力でうつを改善できるのです。

 私は自らの体験で、うつを治してくれるのは薬やカウンセリングより言葉の力であること、とくに「ブッダの言葉」にその力が大きいものがたくさんあることを発見しました。その意味ではブッダの言葉は「私たちをうつから解放してくれる」最高の妙薬ともいえます。

 そこで本書では、私が日々口ずさんだ言葉のなかでも、とくにブッダの言葉を中心にまとめています。その言葉の意味や成り立ちなども詳しく解説してあります。あなたが心に響くと思った言葉は、その言葉の真髄を理解したうえで、ぜひ毎日繰り返して口にしてください。

 気に入った言葉があったら、墨字で清書して部屋に貼っておくのもいいでしょう。

 言葉を繰り返すことと合わせて、負担にならないくらいの時間で座禅や写経をするのもお勧めです。

 たとえば就寝前にしてもいいでしょう。言葉を繰り返したあと、とにかく何も考えずに心を空っぽにする時間をもつことで、「心の曇り」「心の闇」がなくなっていきます。

 本書が、あなたを「うつ病」から解放する最高の本になることを切望しております。

 

著者

目 次

「うつ」から薬なしで二度抜け出した脳科学医 最も効いた「ブッダの言葉」◎もくじ

プロローグ 「うつ」は脳の病気ではなくて心の病だった! 10

「うつ」の苦しみや不安な心から私を救ってくれたブッダの言葉

悪いことをすれば自分から汚れる、しなければ自分から浄まる
――すべては自分が決めること、他人が決めることではない 24
黙っている者も多くを語る者も非難される。非難されない者などいない
――他人は何をしても文句を言うもの 26
黄金の雨を降らすとも欲が満たされることはない
――足るを知る 29
眠れぬ者の夜は長し。真理を知らぬ者は人生の道のりも長し
――心の平安を維持することが肝要 31
思ってはならない。思いは幸運を遠ざけ、自己の心をうち砕く
――自分の心を傷つけるようなことは思い出さない 36
人間に生まれるのは爪の上の土くらい難しい
――人として命を受けることはまことに幸運である 38
もろもろのことは因縁によって生ず、因縁を離れて生ずるものなからん
――徳を積まなければすべてを失う 41
愚かな者は子のことで悩み、財で悩む。だが、子も財も自分のものではない
――この世界に自分のものなど一切ない 45
他人の過失を見るなかれ。ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ
――他人を責める前に自分を見直す 48
精進すれば、事として難きもの無し
――もう少し我慢すればうまくゆく 51
私はあなたの罵りの言葉を受け付けない。だから罵った言葉はあなたのものである
――他人に非難の言葉を発すると、その人が不幸になるだけである 54
自分は優れていると考えてはいけないし劣っているとも考えてはいけない
――考えない、思い出さない訓練をしよう 56
自分を苦しめず他人を害しない言葉のみを語れ。それが善い言葉である
――言葉が「運」を左右する 60
悪いことをするよりは、何もしないほうがよい
――わからないことはやめておく 62
常にほめられる人はなし
――人の評価・判断はあてにならない 65
小悪といえども軽んずるなかれ
――「これくらい大丈夫だろう」という小さな悪が不幸の元になる 70
勝つ者は恨みを受ける
――人生は勝ったり負けたりの繰り返し 76
耐え忍ぶことにより、恨みはやむ
――相手を非難することは自分に不幸を呼び込む 81
苦しみを恐れるものは悪をなすなかれ
――徳を積めば苦しみから逃れられる 86
念起こる、これ病なり。継がざる、これ薬なり
――妄想という心の雲を追い払う 91
般若心経は一切の苦しみを除く
――般若心経を唱えれば、必ずよい結果が得られる 96
心と身体を慎めば苦から逃れる
――口先だけでなく一生懸命に励めば苦しみから逃れられる 101
何もかも捨ててしまえ
――すべて捨てると生き返る 106
掃除は心の塵を払う
――悪魔は家のなかの汚れにひそんでいる 112
吉凶は人によりて日によらず
――幸運や災難は日や場所の問題ではなく、心の問題 118
苦中楽あり、楽中苦あり
――常に宇宙の貯金通帳に徳を積むことを心がける 124
陰徳積めば陽報あり
――何かよいことをすれば、自分の功徳になる 131
求むれば苦しみを生む
――人生には常に不安や悩みがつきまとうのが当たり前 134
避けがたいことがあることを知れば、いたずらに苦しみ悩まない
――人は執着さえなければ幸せになる 139
小因大果
――幸福は思わぬところから与えられる 144
放てば手に満つ
――執着しなければ自然に手に入る 148

 

おわりに 153

プロフィール

高田明和(たかだあきかず)

1935年、静岡県生まれ。慶應義塾大学医学部卒業、同大学院修了。米国ロズエル・パーク記念研究所、ニューヨーク州立大学助教授、浜松医科大学教授を経て、同大学名誉教授。医学博士。専門は生理学、血液学、脳科学。近年は、テレビ・ラジオへの出演や講演、執筆などで心と体の健康についての啓蒙活動を積極的に行っている。また、禅の分野にも造詣が深い。

おもな著書に『魂をゆさぶる禅の名言』(双葉社)『50歳からの元気な脳のつくり方』(角川ONEテーマ21)『医者がすすめるやさしい座禅』(成美文庫)『いきいき脳トレドリル』(PHP)『責めず、比べず、思い出さず』『念起こるこれ病なり 継がざるこれ薬なり』など多数。