はじめに
「うちの子、ほかの子と違うのでは……?」
子どもの発達の遅れに最初に気づくのは、お母さんです。
・母親と目を合わせない
・異常に夜泣きをする
・奇声を頻繁にあげる
・ハイハイの時期が著しく遅い
・表情が著しく乏しい
・言葉が遅い
・便秘がち……
少しでも気になったら、一刻も早く、障害があるかないかをチェックしてほしいと思います。
ところが、医療機関や児童相談所などに駆けつけても、検査後、医師からは「気のせいかもしれない」「もうちょっと様子を見よう」と言われるのです。これがいちばん困るのです。脳が成長するのは乳幼児期です。脳がまだ固まらないうちにチェックして、1日でも早く始めれば、その分、早く取り戻せるのです。
医師の言葉を信じたい気持ちは分からないではありませんが、「様子を見る」ことで、その間に脳の成長が止まりはじめ、取り返しのつかないことにもなりかねないのです。
私は以前から、「発達障害児は天才性を秘めている」と主張してきました。これは直感や感覚によるものではなく、ましてや願望などでもなく、れっきとした根拠に基づいてのことです。
たとえば、「世界の発明王」といわれるエジソンが子ども時代、発達障害児のように扱われていたことはご存じですか。
トーマス・アルバ・エジソン(1847~1931年)は非常に好奇心の強い子どもでしたが、小学校1年生を入学後たったの3カ月で落第しました。学校教育になじめなかったのです。
1+1=2が理解できなかったために、小学校の先生から「お前の頭は腐っている」と言われて不登校になり、退学しました。今でいう発達障害のある子どもであると見なされたのです。
しかし、エジソンのお母さんは諦めませんでした。息子が興味を持ったことを中心に、家庭でドンドン学ばせたのです。
もちろん、順調に学習が進んだわけではありません。自宅で実験をして、納屋を全焼させる事故を起こしたことすらあります。しかし、彼は失敗にめげず興味の追求を続けました。新聞を発行して列車内で販売したこともあり、そうして貯めたお金で自分の実験室もつくりました。
電信技術を学び、16歳の頃から少年電信技士として活躍しました。その後、世界初の白熱灯を発明しただけでなく、発電から送電に至るまでの電気を販売する仕組みをつくりあげました。まさしく、電力販売を事業化したのです。そのために設立された会社が、エジソン・ゼネラル・エレクトリック。アメリカを代表する大企業であるゼネラル・エレクトリックの前身です。
「20世紀最大の科学者」といわれるアインシュタインもまた、発達障害児だったといわれています。
アルベルト・アインシュタイン(1879~1955年)は言葉の遅い子だったそうで、5歳までほとんど言葉を話さなかったといいます。実は、言語を中心とする学習障害があったと伝えられています。
9歳のときに「ピタゴラスの定理」に関心をもち自分で証明に成功するなど、得意な科目の成績は傑出していましたが、言語に関する科目は不得意でした。ですから、学生時代は苦労しました。数学と物理は最高点を取りながら、他の科目の成績が振るわず、受験にも失敗しました。
卒業後もすぐには大学の助手になれず、社会人としての出発は臨時教員でした。保険外交員や家庭教師のアルバイトをしながら論文を書きました。皆さんもご存じのように、そんなアインシュタインが後に「相対性理論」を発表し、ノーベル物理学賞を受賞したのです。
エジソンやアインシュタインは、幼少期からその天才性を認められていたのでしょうか? 私はそうは思いません。ですから、発達障害児の親御さんにはいつもこうお話ししています。
「あなたのお子さんは、エジソンやアインシュタインと同じ、天才の卵ですよ」
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p> この言葉を、私が相談指導した約5000家族の子どもたちが証明してくれています。
本書では、その改善事例と、改善に至るまでのノウハウを惜しみなくお話しするつもりです。
わが子が3歳半のとき、軽度の発達障害の診断を受けて、お母さんは、その子の前途を悲観し、うつになりました。大学で受けた保育士の授業で、「発達障害は治らない」と教えられていたからです。
そのお子さんが9歳になったとき、東大の先端科学技術センターと日本財団による「異才発掘プロジェクト(ROCKETプロジェクト)」で、「ホームスカラー」に選ばれ、その才能を開花させたのです。その子が小学5年生になって、「僕のことはもう気にしなくていい。お母さんの人生を生きて」と言ってくれたそうです。この報告をしてくれたときのお母さんの笑顔が忘れられません。私は「子どもさんは人間力でも100点満点を取りましたね」と励ましました。
他の教科でも周囲の予想を超える結果を出す子どもたちが何人も登場しています。
「要注意人物だったわが子がクラスでただ一人100点を取るまでに」
「抜き打ち指名でも10ページもの昔話を完璧に暗唱、先生も天才性を認めてくれました」
………
支援学級でスタートした発達障害児がその後普通学級に移る、それでは終わりません。各教科で100点満点を取ったという報告が続々寄せられているのです。
WISCという知能診断検査で、2歳のときに判定不能と言われたIQが4歳で109になった子もいます。
私は大学院で経営学を修め、大学で講師を務めるさなか、家内が自宅で始めていた早期教育の教室を手伝うことがありました。その教室に、ダウン症や発達障害の子も通っていました。学者崩れとはいえ、「おっちゃん」と言われながら子どもの相手をする。こんなことは、普通でしたら学者としてのプライドが邪魔をする。そう思っても不思議ではないでしょう。ところが、私は専門にしていた経営学では得られなかった人間の本質とその奥深さを障害児の子どもさんから教えてもらいました。
発達障害児の言動、行動、態度だけ見ていたら、ふつうの子とは違う〝異常性〟に気をとられてしまいがちです。ふつうの子は、年齢を重ねる中で、いわゆる〝お利口さん〟になっていくのですが、発達障害児は、素直すぎて、純粋すぎて、単純すぎて、敏感すぎて、お利口さん部分がうまく表現できません。そのことが歯がゆくストレスとなって奇声を発したり、落ち着きなく動いたりしている。それが傍目では〝異常〟に見えたり、他の子より〝劣っている〟ように見えてしまったりするのです。
しかし、見方を変えれば、ふつうの子にはないくらい純粋で素直で敏感なこの部分にこそに〝伸びしろ(潜在的可能性)〟があるのです。そこに重点的に焦点を当てて働きかけ続けると、発達障害児が秘めている天才性を見事に引き出し、伸ばすことができます。それをどんな親でも実践できる〝子どもの脳にいいスーパーメソッド〟として確立しました。
このスーパーメソッドによって改善し、親や学校、周囲を驚かせる子どもたちが次々と育ってきています。この子たちは、日本の、そして世界の未来を担う希望です。そのなかから、エジソンやアインシュタインを超える人物が出てきてもおかしくないと、私は強く確信しています。
絶対に諦めないでください。お子さんという「天才の卵」を、私たちと一緒に大切に温め、育てていきましょう!
エジソン・アインシュタインスクール協会代表 鈴木昭平